▼ヴィルト▼
使えないなら盾にするまで。判断が間違っていたとは思わない。
それでも、損傷が大きすぎた。痛みの出所がもはや解らず、体を起こすこともままならない。
鼓動と共に流れ出る血と体力。
乱暴に髪を掴まれても、ただ気管からゼイゼイ鳴るだけで、喘ぐ声一つ出せなかった。
「…殺されずに、良かったなぁ?」
そんな揶揄も、遠くに聞こえる。貧血故か痛みの為か、視界が霞む。
袖に仕込んだ魔石を取り出す、いくつあるかも解らない。ウェルツに体を預けたまま、唇だけで、紡ぐ。
「……螺旋の、弩……ッ」
ゴォ!!!
ヴィルトから放たれる炎を纏う突風!
火と風の魔石を融合発動。
跳び退り、ダメージを極力減らすウェルツ。
支えを失ったヴィルトは、力無くその場に座り込んだ。
勝負はついた。柄を握った手から力が抜ける。
項垂れたことで、額から頬を伝って血の味が口に広がる。これが、欲しいのか。
焼けるように熱を持つ傷口。頭が割れそうに痛い。
ふと、さっきの言葉を反芻する。
――殺されずに、
誰が?
――良かった。
何が?
力及ばなかったにも拘らず、またオレは、まだオレは生きている。
何も守れず。
「…………」
ズキン、と、何処かが痛んだ。
何を思った自覚は無かった。
けれど、
(……まだ、だ)
せめて、引き分ける。
でなければ、また、まだ、守れないままだ。
▼ウェルツ▼
風の勢いが収まると、ウェルツは顔を伏せたまま首を振る。
「…チッ。やってくれる…」
髪を掻き揚げて視線を上げた時
「――!」
ウェルツは目を見張った。
――まさか、あの傷で…
血溜まりに、ヴィルトは立っていた。
「……。」
ウェルツはただ黙って彼を見据える。
獲物とは己の身を守る為に抵抗を見せる。
己の身を守り切れないと知れば、戦意を喪失させ別の策で身の安全を確保しようとする。
では、限界を超えて尚立ち上がる、この行動が意味する事とは…
――極限の状況で、彼を突き動かしているものとは一体……
思考の果てに、溜息を吐いた。
「…残念だったな、ヴィルト」
この声は、恐らく届いていないだろう。
「…随分と楽しませて貰ったが、結局貴様は俺の期待外れだったようだ」
まぁいい。
「…獲物なら獲物らしく、もっと俺の為に足掻いて貰わんと存分に楽しめんだろうが」
俺の欲求を満たすことを忘れた今のコイツは“獲物”失格だ――そして…
ウェルツはレディアンスを振り上げた。
『 o -開 放 弦-』
…ザワッ…
赤い魔力が立ち昇る。ウェルツの気の高まりに呼応するように、ハープの形状が禍々しい姿へ変化した。
――“獲物”相手には見せる事はない、魔器の真の姿。
ブォンッ!
魔器を横に薙げば、形状がハープから巨大な槍と化す。
ウェルツはそれを右手に携え、対峙する“戦士”に切っ先を向ける。
「…あのまま大人しくしていれば可愛がってやったものを…今の貴様に一体何が出来る…己の無力さを――」
ダンッ、とウェルツは強く地面を踏み締め逆転重力を利用し爆発的なスピードで上空へ跳び上がった。
魔器を振るって大きく上体を捻り…
「――身を以て思い知るがいいっ!!!」
吼えると同時に魔力を叩き込んだ巨大な槍を投擲――最大出力の攻撃を、繰り出した!
『 ◇・SFZ・GRAVE -ハーモニクス・スフォルツァンド・グラーヴェ-』
巨大な槍は空を切り裂き、轟音を響かせながら落下する!
▼ヴィルト▼
「嘘…だろ……」
段違いの余力。対するヴィルトは、刀を携える手の震えをどうにか抑えて、自分の体を支えるのがやっと。
見上げる力なんて無い。しかし、わざわざ直視しなくとも、解る。弾かれた弦から音は波となり、空間を震わせ染めて行く、周囲にウェルツの魔力が浸透する。
諦めた方が、良いのかもしれない。勝てるわけ――
脳裏に過った弱音にかぶりを振り、対処の仕方に頭を切り替える。
断続的な痛みが思考の邪魔をする。
魔力の量が桁違いだ、正面から受けるのは、愚策。
動かなくなった右手から護符を外し、左に付け替える。
採る手段は「回避」。残る魔石は後6つ。4つの結界で衝撃は可能な限り削る。風が1つ。否、護符に吸収される可能性がある、使うだけ無駄だろう。結界破壊も、今は要らない。
予測される効果範囲は……
恐らく今までで一番、考える時間が取れた。自分に余裕が有ったなら、もっと良い策も浮かんだろうが。
この禍々しい魔力の質には、覚えがある。
ここ暫くの穏やかな日々が凪いだ、記憶が、憎悪が、一気に蘇る。
(オレから…奪った、あいつらと同じ――っ!)
エレノアを、大切な人を、魔族が奪った。あの日に全て壊された。傍で、同じ夢を見て生きて行くつもりだった。
あの時失われた道は、今だって見付かっちゃいない。
あの頃の夢が、悪夢に堕ちたまま。
怒りで我を忘れそうになるが、加速した脈拍が痛みに変わって頭を打ち、情動を繋ぎ止めた。
空を仰ぐ。澄んだ青ではなく、澱んだ赤い闇。螺旋を描いて収束し、それが真っ直ぐこちらへ向けられる。
(ハーモニクス、それなら解る)
増幅呪文、やはり、半端な効果では済まないと推測。
手は一つでも多い方が良い、覚束ない足で地面を蹴ると、ハルバードの方向へ走る!
▼ウェルツ▼
ヴィルトが動いた。
――無駄な事を…
眉間に皺を寄せ睨み付ける。
戦士へ贈る敬意と、愚かな獲物への皮肉…二つの相反する感情が瞬く間に錯綜し、苛立ちへと変わっていく。
それは一度手中に収めた獲物を、得体の知れない何かに横取りされる感覚に近い。
苛立ちはやがて強烈な独占欲を生む。
――奪い返してやる。
そう、何者も付け入る隙がない程、思考、感覚、感情、その全てを絶望で塗り潰し、精神の支配権を手にする事で、絶好の獲物へと引き摺り戻す。
この一撃は当たらなくとも良い。
圧倒的な力量の差を脳裏に刻ませ、絶望の種を植え付ける。これこそが真意。
――魔器が地に迫る――
――ゴオオォォォ!!!
地響きと共に爆風が巻き上がり、落下地点の周囲から錐状の突起が空を刺す。
残響で作り出された重力操作の効果が薄れ、ウェルツは次第に高度を下げ…やがて地に下りた。
砂煙の中、ウェルツは軽く髪を掻き揚げる。
「…さぁ…今なら俺に背を向けて逃げれば、見逃してやるかもしれんぞ?ヴィルト」
▼ヴィルト▼
(間に合った――)
納刀し、ハルバードの柄を握る。
体力は尽きかけていても、魔力はまだあった。
傷を内側から引っ掻くような地響きを堪え、
「オレの魔力を喰らえ、アイオーン!」
片腕で持ち上げ、前方へ振り下ろす!
元々衝撃波が付随されている構造、そこへ、それなりの魔力を供給してやれば、突き上がる錐を丸ごと吹き飛ばす程度の威力は出せる筈。直感だった。
ズガガガッ!! ドガァンッ!
見込みは的中、衝撃波は丁度ヴィルトを庇うように、地の波を破砕。手は刃が地面を砕く直前に柄から放した。
「――っ、『紺色の』……!」
四重に展開した楕円が周囲を覆う。その名の通り、深い青色に淡く輝いて。
押し寄せる爆風、炸裂の余波による熱から身を守る。不足分は護符を眼前に掲げ、魔力を吸収させつつ、結界に転換。
しかしそれでも、砕けた断片のいくつかは魔力に乗って結界を貫き、ヴィルトの頬に、脇腹に、新たな裂傷を作った。
直撃は避けたにも関わらずこの威力。
瞬時に刀を抜き、声を頼りに自分を狙う牙を探す。
まだ、終われない。
da capo(冒頭より再演)とまではいかなくとも、dal segno(中途より再演)くらいには。ヴィルトの狙いは、音楽用語で言うところのそれだろう。
放射状の軌跡を辿ったその中心が、レディアンスの、ウェルツの立ち位置!
小細工は要らない、真っ向から突っ込む!
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