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いとまのこさんの公開日記

2009年
08月16日
03:47

似たようなタイトルで書く日記は何度目でしょうか(*´ω`*)
長文、駄文失礼します。



実家に戻ると子供になる。
子供になることを許されたような気がする。
しかし、それと同時に長男であることを思い出す。
家族としての立場と役割を取り戻す。

社会人になると消えてなくなると思っていた温もりを
忘れようと思う反面、別に求めようとしていたりして。

あぁ、この誰にでも持ち得る似通った価値観や欲望は
いくら愛想が尽きても、執拗に私の前に現れる。

幾人もの人間が描いて記してきた物だ。
私が体現する必要もない。書物にあるとおりだ。

幸せで、素晴らしい。
そうだろう。それはそうだろう。

皆はそれを求める。
そうだろう。それはそうあるべきだ。

だから私は否定してみた。でもそれを手に入れたかった。
この葛藤を超えるためには、否定するものを限定的にするしかない。

さて、皆が愛して私が嫌うものをソレから抽出することができようか。
しかしそれは、実に探しがいのあるもので。

私はそれを手に入れられぬまま、葛藤の中で遊んでいる。
それが許される期間が少しずつ無くなっていることも知っている。

この"猶予期間"をどう利用するかは個人の問題ではあるが
解決できるかできないかでは、とても大きな差が生まれる。

「結婚もしないとね」

私が何をするべきか。私をどうあるべきか。
検討こそつけど、ことさらな仕打ちである。

そして、私が何か反論できることがあるとすれば
それはとても利己的で自己満足の域を出ない。

「そうやなぁ」

善処します。と言えたら良し。肯定と休戦の言葉である。
恋話もなく、結婚の話が飛び出す理屈が私には理解できない。

私にとって"結婚"とは"カラオケ"のようなものだ。
皆は楽しそうに歌うが、私はどこか満足できないところがある。

"カラオケ伴奏"と"ライブ演奏"の音質の差。
嫌いなわけでは無いけれど、求めているものが違うような。
"結婚"が"真似事"として私の頭の中で行われている内は
それに魅力を感じることは無いと思う。

そして私もまた、そうした魅力を持て囃されることもない。
所詮はその程度の人間なのだ。今はそれでいい。
物静かに、こうして考え事をしているだけでいい。
私が自ら認めている魅力を描き続けるだけでいい。

『君から?もう一度、恋に落ちるほど好きになれるのかな?』

なれないと思う。ならないと思う。
それが草食たる所以であるように。

『じゃぁ惚れてもらうまで待つの?それとも何か頑張るの?』

必要なのは分かるし、少しずつは変わるべきだと思う。
でもすぐに、昔ほどの恋愛感情を取り戻せる自信は無い。



一人でも、やりたいことがある。




趣味を持つ友よ

君は不幸か、幸せか


夢を持つ友よ

君は不幸か、幸せか


それに加えて


恋を持たざるものの友よ

君は不幸か、幸せか


加えて、貴女が年頃の女性なら

共に踊るか、踊れぬか










そんなこと、私は気にしていないのだ。

現実は残酷だよね。





おやすみなさい。そして、おはよう!!










祖父母の下に行けば、私はさらに孫になる。

耳が遠くなりつつある祖母と、生活の大半を祖母に頼りきる祖父。
両親が通わないときでも、長男の仕事として通い続ける家族の関係。
嫌々ではないが、行けと言われると億劫になったりもする。
行かなくてはならないと思うと、責務であると感じる。

そういうのは全くダメダメな話だ。
できることなら、どこにいても褒められる人間でありたい。
褒められるために行脚したい。
「よく来てくれた!」と言わせたい。

そういう態度で歩きたい。

私が物腰柔らかく、物静かになったのも
時には辛辣をこぼしていく様になったのも
とかく経験も持たず、草食と呼ばれるようになったのも
この身一つで何が出来るかと、彷徨ったなれの果てである。

わずかでも"誇り"があるのだ。
褒められずとも"喜び"があるのだ。

素直に「はい!」と言えるわけがない!!
それでも現実は、向こう側にあるのか!!

神様、お恵みください。
そして私の修業とは何でしょう!!

我が道を諦めろとおっしゃるのでしょうか!!
ならば神よ、何を讃えましょうか!!

この畜生め!!!

これは失敬(゚∀゚)