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いとまのこさんの公開日記

2009年
09月26日
23:05
ひさしぶりにネットの温もりに…いや、厳しさにも触れたと思う(*´д`*)ハァハァ
昼に起きて、さらに昼寝までしてしまった(*´д`*)ハァハァ

今夜は久しぶりに創作に潜るかなぁ。


以降、雑文。





全てを受け入れてくれる人なんていないけれど
全てを注ぎこむことでしか存在しない彼らがいて
昔は恋をすればそんな風に人を愛するのかと思っていたけれど
なんかそうでもないんだなぁって思ったりして

人間は甘えたがりだけれど、実はしっかりとした芯があって
それがあるからこそ自分なりに曲がったり癖がついたりして
それによって生まれる争いや苦しみなら否定する必要は無いなって

葛藤や後悔が僕の中にあって、それは僕が生きるために
受け入れようとした感情や経験であって
でも形なきものとして受け入れるには現実の刺激が強すぎるから
創作活動という形をとって、何かしらのアウトプットを望んだ


ネットでいろんなアマチュア作品群を見ていると
あぁ、私も彼らをこの舞台で戦わせてやりたいといつも考えるのです。
そして、その作者たちの声を聞いてみたくて無駄に近づいてみたり
それがまた、恋をする人たちの行為と似ていて滑稽だったりもして

あぁ、結局人間は誰かに近づくために常に何かを発信していて
その表現力を生きている間に試されているだけの話なんだなと
本当、それだけの話なのに、舞台にはルールや観念が定着しすぎて
誰かがちょっと際どい発言をすれば、才能だ、最低だ、と野次が飛んで

私からすれば科学以外の才能なんて、あまり意味を持たないけれど
きっと現実の辛さを覆すほどおかしな世界を望んでいる人は多くて
だから私も漫画や映画が好きで、いやそれ以上に貢献したいと思って
作りたい欲を抑えきれないんだと思う。


ひさしぶりにプロフェッショナル=仕事の流儀=を見たのは
井上雄彦さんが出ている動画で、カフェでネーム考えてるのを見て
あぁ、ワシも一人で引きこもっていても仕方ないし
新しいヘッドホンでも買って街に出るのも悪くないかもなぁって

いやしかし、ディレクターさんのイメージと異なったのか
先生のキャラクターと物語の作り方が私には私にはしっくりきたのに
なんか同じ質問を繰り返していると言うか、質問が的を射てなくて
イライラこそしないけれど、会話をするのが難しい気がした。


こんなことを言うと失礼だとは分かっているが、流行を作った先生たちが
特別絵が上手いとか、話が上手だとかは思ったことはない。
ただ、ブームを作るのが上手で、王道を通ることで売ることが出来た。
運がいいと言うか、人間関係に恵まれていたんじゃないかって思う。

何がしっくりきたかって、いつの時代も読まれるとすれば
それは「人間を描くことだ」って言い切ってるとこらへんが
よく言った!みたいな感じだった。私も結局、人間だと思うのだ。


人間がどういう生き物で、どういうことをしてきたのか。


それを未来や過去、現実と照らし合わせて作品にする。
どんな世界に居ても変わらないことがあるとすれば
それはきっと大切なことだと思います。さて、それは何ですか?
そう問いかけるための「読みやすい教科書」であると思う。

この前、動画サイトにうpされてた「バッシング」っていうB級というか
社会批判的な映画を見たんだけれど、それは別に面白くもなくて
でも確かに存在するものではあるなーと思ったから最後まで見た
というか流していたというか、そんなイラク日本人人質事件の映画で

(ジャーナリスト志望の少年、市民ボランティアの女性、フリーカメラマンの男性3人が戦時中のイラクで拉致監禁され、犯行グループが自衛隊の撤退などを日本政府に要求した事件)

主人公のボランティアの人が空気読めなくて痛くて、でもそれ以上に
周りから「何で生きて帰ってきた!」なんてバッシングがもっと痛くて
でもそれはネットの現在進行形でもあり、これから迎える情報化社会で
確実に存在しうる風景であると思うし、早期解決を望む問題で。

人間としての倫理というか、誹謗中傷の使い方というか
目的を持って発信するという表現方法を覚えてもらうための何か。
それをこれから情報を発信する人に教育する必要性は明白で。

しかし、それは従来の学校教育や官による制度によっては扱えない。
つまり、それは生活の中で、とても浅く広い世界に存在する価値観で
コミュニケーションのレベルで意識するべきものであるわけで

それを何とかするのは芸術や文化の仕事であることを
もっとアーティストを名乗る人達は意識するべきだし
一般人にも感じてほしい、生きるために大切なことの一つだと。


上の映画で孤独を表現するための主人公のセリフで
「繋がっていたいの」というセリフがあったんだが、私も一人暮らしで
それはよく感じていて、あぁ、なんか私も危ないなって思った。

恋愛におけるソレはよくある風景ではあるけれど、ボランティアというか
何か活動を含めたソレであると、その活動の方向性すら見失いそうで
でもふと自分の足元を見てみると、自分が何をしているかなんて
深く考える必要のない社会、そうあることを必要とされる社会があって

あ、チクショウ。学校で何教えててん。教育の馬鹿。なんて思ったり
でも私が出会ってきた教師たちは、何らかの姿勢を私に映してくれたし
やっぱり人間が大切であることは確信事項であることだけが残っていて



やっぱりどれだけ辛くても、本気でやるしかないんだと思う。
どれだけ頭が痛くなっても、自分が壊れそうになっても
何かを生み出すっていうのはそれだけの価値がなければ楽しくないし
何より、そうして生きてきたことを否定していても仕方ない。

本当は痛いんだよ。生きることって。感じてないだけで。

それを知ることを幸福とする必要はないけれど
誰かと一緒に望むような、楽して出来るもんじゃないことだけは確か。

女性だけが出産できるのが意地悪な仕組だなーって思ってたけれど
できることとできないことがあるっていうのはやっぱり必要だなって。

結婚はどんな馬鹿なら愛せるか。って話らしいけれど
愛情ってのはどんな痛みなら愛せるかってものなのかもね。




何かを克服する為に、見えない物に名前を付けて

さて、私にもそれ相応の覚悟が必要とされてきたのかな




明日は車検の見積してもらいに行こうかなぁ。




おやすみなさい。そして、おはよう!!







あ、そういえば10月の3連休に日本科学未来館のバースデイを
見に行こうと計画しているのです。うふふ。

東京で遊べそうな人はよろしくどうぞ!宿はどの辺で取ればいいかな。
街中で安くて、飲み食いしやすいところがいいですね(*´ω`*)

P.S. アクション仮面のログがなかった(´・ω・`)