振り返っただんな様の顔はいつもの陽だまり笑顔だ。が、生まれてからずっとだんな様のおそばに仕えてるレクサールの目は誤魔化されたりしない。かすかに曇った顔色とか握った手のひらとか普段と明らかに違うと姿勢を正した。
「御呼びと伺いました。どのようなご用件でしょうか?」
「少し長くなるかもしれない。まずは腰掛けてくれ」
ちなみに今だんな様が座っている椅子はサール手作りだ。
それなりに器用なサールは大概の物は作ってしまう。普通の家庭で使用するには十分の出来栄えだが貴族の持ち物としては相応しいとはお世辞にも言えない。
職人が年月かけて隅々に意匠を凝らしたかつての家具類のことを思うとサールは申し訳ない気持ちで一杯だ。が、だんな様もそういうサールの気持ちはよくわかっているのだろう、口癖のように「この椅子はいい、腰が痛くならずにすむ。優しい椅子だ」と褒めるのだ。
サールは内心の葛藤を瞬時に押さえ、ルイ様の椅子を用意する。そのルイは西日の影になって暗くなっている部屋の隅を睨み付けていた。
「ルイ様?」
ルイは野生の動物が敵に会ったときのように腰をかがめ、いつでも戦闘態勢に移れるようにしている。首筋の産毛が逆立っている。猫科の猛獣のような迫力にサールは続く言葉を失ってしまった。
「だれだ?」
低い声で影に向かってルイは問いかけた。殺気を漂わせながら。
「あれ~~?見つかっちゃった?上手く気配消したつもりだったんだけどなあ、まだまだ未熟だなぁ。精進しなきゃねw」
やけに能天気な声とともに影から出てきたのはルイ様と同じくらいの年頃の少女だった。見覚えは無い。サールは一度見た人間の顔は忘れない。
見れば首からかけているのはチャザ神のホーリーシンボルだ。このあどけない少女は神官なのだろうか?
「お前・・・シーフだよな?足音消して歩く癖でわかる」
恋愛感情に疎いルイは可愛い外見に惑わされることない。警戒心を隠そうともせず少女の素性を問いただした。
「や~ね。そんなんじゃもてないぞ!女の子には優しくしなきゃ!」
シーフと聞いてぎょっとしたサールは改めて少女を観察した。赤く長い髪、夏草の緑の瞳、うっすらそばかすの浮いたピンクの頬、背はこの年頃にしては高いほうか?体はスレンダーだが鍛え上げていそう。神官服は着ていない、フリルたっぷりのドレス姿だ。領主の館訪問だからだろう。
しかし、無邪気な笑顔の下の表情は一癖も二癖もありそうな得体の知れなさがあった。サールは自分より年下なこの少女に畏怖を覚えた。
「あ~~紹介しよう。今度この地にやってきたチャザ神官ルーララさんだ。ルイ、お前よりひとつ年上になるから敬語を使うように。彼女はこの若さで奇跡の力を使える期待の星なんだぞ♪」
いささか語尾の音符が気になったがサールはそれ以上に気になることを質問した。
「もしかしてルイ様のお見合い相手でしょうか?」
そう言いながらルーララとルイを換わりばんこに見れば二人とも凄い勢いで首を横に振っている。初対面でこれほど否定した根拠はなんだろうか?
「実は3人で隣の領地のオヤージュ・ゴールダァーをたずねて欲しいのだ、これを持っていけばわかる」
だんな様が取り出したのは一抱えほどのブロンズ像だった。祈りのポーズのどこにでもありそうな決して高級な物ではなかったが亡き奥様に似ているのでだんな様が手放そうとしなかった大切な物だ。
「・・・・いよいよですね」
「うむ、仕方ない。あいつの好意に甘えるのはぎりぎりまで粘ってからだと頑張ってきたが・・。来年王子が隣の国の姫を娶ることが決まった。そうなるといくら僻地だからといって王宮に出向かないわけには行かない。体裁を整えるだけのお金がどうしても必要なのだ」
隣の領主オヤージュは成り上がり貴族だ。お金の力で男爵の地位を買ったと言ってもいい。気位の高い貴族社会では親しい言葉をかける人間など無かった。まるでかかわったら穢れると言わんばかりに。
唯一オヤージュを認めていたのがだんな様だった。下々の暮らしの辛さとか博識な彼から教わりそれまでの生活を一変させ質素倹約を実行しただんな様にオヤージュも貴族の認識を変え、それ以来身分の壁を越え深い友情を育んできた。
甘えさせないのも友情。ぎりぎりまで粘れ!どうしても駄目になったときはこのブロンズにかけて全力でお前を助ける!15年前の約束はまだ生きているだろうか?
「わかりました。出立は明日の朝一番にいたします。ルーララ様もここにお泊りになられますか?部屋をご用意いたしますが?」
「あんがと!でもいいや。一回教会に帰って報告しなきゃ!何日も留守にすると色々まずいんだよん」(シーフギルドにも挨拶しなきゃなあ)
「敵じゃないんだな?」
せっかく整えた髪をかきむしりながらルイがルーララに声をかけた。
「まっさかぁ?領主敵に回して何の得があるのよ。むしろ繁栄して貰って寄付金たっぷりいただけるほうが嬉しいじゃん!」
これは本音だろう。商売の神チャザの神官らしい発言だった。
「ん!」
すっかり警戒心を解いたルイはルーララに近寄っていく。ララのほうは挨拶のキッスか握手だろうとその場でお辞儀をしようとドレスをつまんで前かがみになった。
「これどうなってるんだ?」
ぴらぴらフリルのドレスなんて見たことも無いルイはルーララのスカート部分の裾をめくって中を覗き込みながら不思議そうな顔をしている。
「こ・の・痴漢・や・ろ・う・がぁああ!」
怒りで真っ赤になった憤怒の形相でルーララは全力で回し蹴りを繰り出した。貴族の息子と言うことも忘れているのだろう。
ルイは素早く避けて右に飛んだと思うと屈んで性懲りも無く中を覗き込もうとしていた。
「動きにくそうだなあ?」
その動きも読んでいたのだろうか。ルイの脳天にルーララの踵落としが決まった。並大抵の腕ではない。やはり鍛えられている。
やがてルイはゆっくり後ろに倒れていった。
・・・・薬草は要らないな、冷やすだけで大丈夫か。サールは冷静に判断して部屋を後にした。