魂魄と書いてたましいとも読めるそうです。
我が国には魂魄と言う考え方があると聞きます。
聞きかじった程度だから、わからないし適当な所もあるんだけど…
この魂魄、たましい以外にも、こんばくとも読めます。
この魂と魄は二つ揃ってはじめていきるもので、魂は人の善の欲を司り、魄は悪の欲を司るそうです。
魂と魄は死の時に別れ、魂は黄泉の国へ行きこの世で受けた汚れをゴシゴシ洗濯して浄められ、一方魄の方は汚れを一身にうける防護服みたいなものだから、汚れや肉体と共に土にかえるとか…。
あの世の事はわかんないですが(笑)
さて、この考えの面白い所は、どちらも無くては生きていけないと言う事を指摘する点です。
人を思いやったり、献身であったり、他の命を絶ち食事をするなんてとんでもない、など。
そんな善い欲だけでは生きていけ無いと言うか、食事すら出来ないような善ばかりだとすぐ死にますよね。
食事をしたい、良い暮らしがしたい、憎い他人よりよくなりたいなど、どちらかと言えば肉体的な欲が人の生を充たします。
しかし、それらの欲の果てには人の命を奪いあったりする事になったりして、人と言える理性を持つ生き物がいなくなり、これはこれで困りますよね~。
善い部分ももちろん大事なのは言うまでもないですが、善を活かす為にも肉体的な欲の悪い部分を利用して人を生かす欲をコントロールして生きていく事が大事であるそうです。
例えば、自分自身を高める原動力の為に、肉の欲を出して悪を善に変えるように。
動機は不純でも、行いや結果が人に良いなら、それは善い行いに変えられる。
そう考えると、これって魂と魄が揃っているこの世だから出来るのかもしれませんね~…
私たちも、できるだけ欲をよくコントロールして活きたいものですね~。