あぁ、色塗りはフォトショップか。
ちょっと触れてよく分からなかったけれど
ちょっとちょっと触れてたらヨダレが出てきてて
ちょっとちょっともうちょっとだけ!してたら、目からうろこでした。
でも全然まとまらなくて断念。
とりあえず、鉛筆描写みたいな感じで線画かけた!って思ったら
思いっきり背景だった罠。
いいよいいよ。そんなことだとおもったよ。
面倒くさくなったので上から色塗りしてたらブラシの種類が多すぎて
いや、逆にもっとほしくなったりして
最初はやっぱり、簡単なイラストで効果比較して楽しもうかなぁと。
っていうか、今日は疲れたからもういいや…。
とりあえず、タブレットを斜めに配置する何か、と
広い机と、ディスプレイが欲しいな。
あぁ、お金かかる。
でも一歩前進。
「本当に全部ボクが悪い」 6歳長男、
捨てられても叩かれてもなお母かばう…埼玉の幼児餓死事件
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1168033.html
子供の声は、獣として当然だとは思うけれど
社会に生きる人間としては、可哀想にも見える。
奇しくも人間はそうしたいろんな社会に生きている。
重力から解放されることなく、時間から逃避できるわけでもなく
生命活動の上に社会を作り上げ、演じる事で保っている生活がある。
何かに対して「可哀想に」と感じたところで
ソレを行動に移し、演じきることをできないのは
それもまた、別の社会の中で起きたことだと認識している証。
簡単に忘れていくだろう。
それは演じずともできることだから。
観客と演者の違いは簡単だ。
動かなければ、あなたはずっとそこに座っているのだから。
舞台に立たなければ気づくこともないかもしれないけれど
それだけ無意識に生きることもなかなかできないのが人間社会。
何も不器用なわけじゃなくて、もともと作られたものなのだから
後は生活しやすいように変えていくしかない。
ねだるな、かちとれ、さすればあたえられん。
ネットはただの稽古場なの。