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いとまのこさんの公開日記

2008年
10月14日
22:40



わたしがしあわせなとき、わたしはたのしいとおもうでしょう。

わたしがしあわせなとき、わたしはじぶんのことをおもうでしょう。

わたしがしあわせなとき、みじかなひとのことをおもうでしょう。

わたしがしあわせなとき、めにみえない、かんじないひとのことを

かんがえることもないでしょう。


わたしがしあわせなとき、しあわせがくずれることをおそれるでしょう。

わたしがしあわせなとき、しあわせがつづけばいいとおもうでしょう。

わたしがしあわせなとき、しあわせをいじしようとがんばるでしょう。

わたしがしあわせなとき、しあわせはわたしをよぶでしょう。


あなたはしあわせですか?

あなたはふしあわせですか?


不確定要素に対する名前の意義を消去せよ。
そして、もう一度、自身の経験から構築せよ。

現実はいつも過去である。
今、考えていることが現在であり、未来となる。


悩むよりも早く記せ。
目に見える形にせよ。

そうした不確定要素を暴きだすのが、私の趣味である。

言葉であれば「文学」か。記号であれば「芸術」か。
私はその「言葉」に意味を持てない。

それはただ、答えられなかった「迷い」だ。

その「迷い」を軸に何かを構成する限り
何が有限で、何が無限であるかを把握することは難しく感じてしまう。

手を取れば、抱きしめれば分かるのに
それはすぐに思い出や過去になる。

心から触れるような感覚の世界に無限を見つけてしまい
現実に満足できなかった私の納得できない言葉の理由。



私は知ってしまった。

夢を見る、見ることを必要としたのは子供ではなくて大人だったんだ。
子供なら、まだ未来がある、時間があると夢を預けてしまう。
その連鎖だけが現在に浮き出てしまう現象。

理想と現実。いや、罪と罰か?

気がつけば、過去に取り込まれつつある現在であることを
意識できるものは少なくなってきているというのに
私たちは未だ踊り呆けている。

夜を越えたときから時間感覚は崩壊した。



母と祖母が帰ったのでカキコ!!



最近の私の心は、友達が、仲間が欲しいと泣いてばかり。
一人ではどうしようもないと知っているのだ。心の中では。

うーんうーん。