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いとまのこさんの公開日記

2008年
11月16日
01:37
駄文長文意味不明。
暇な人だけ、よろしくね(゚∀゚)




死ぬ死ね聞いてたら悲しくなってきた。
お腹がすいたけれどリンゴしかない。

何をすればいいか分からないので
ひと眠りする前に走ろうかと思った。

今やらなければいけないことだけは分かっている。
仕事とダイエットだ。

分からない時はいつもそれをこなす。
昔はそれが勉強だっただけ。

今日は久しぶりに泣いた。
http://vipvipblogblog.blog119.fc2.com/blog-entry-245.html
広沢タダシのまあるい日々がいい感じに聴けた。

私には出来ることと出来ないことがある。
しかし後悔することだけは嫌いだ。

分からないことに対しては追及し
出来ないことに対しては考えよ。
常に狭き門を潜れ。

気になることはたくさんある。
話したい人もたくさんいる。
なのにどうして気が滅入るのか。
私は欲張り過ぎたのだろうか。



全てにおいてよく分からない。不安だらけの毎日だ。
彼女もいないし、ひきこもり。それを良しとする自分。

ただ一つだけ譲れないものがあるとすれば
私は絵を描き、音で遊ぶことができる。
一つは自分で、一つは親に与えられたもの。
どちらか一つが選べなかった私は弱い。
二つは能力として金にならないものであった。

しかし、一つだけ感謝している結果がある。

私は孤独であり、孤独でない。
ネットの中から始まった見ず知らずの友達が作れるという
現代の不思議のような現象である。

こちらではまだ友達が一人もいない。
同じアパートに住んでいた同じような若い子は
10月にはアパートを去っていた。悲しいかな。

1時間も電車に乗れば大学の友人に会える。
それが少しの甘えとなっている気もする。

休日が来て、眠りにつく前にふと気付くのだ。

私がいつも感じていないけれど
私は本当は寂しいのではないか。
その一瞬だけ客観視できる自分がいた。

でもそれも、もうあと1、2年だ。
仕事に慣れてくれば気づくだろう。
お前が賭けた道の先など
誰もが成しえなかったものと同じだと。


コピペの中に忘れられない事件があった

http://www6.big.or.jp/~beyond/akutoku/news/2006/0721-20.html

私は未だに問い続ける。
介護の在り方、社会の在り方、あらゆる社会のシステムに対して
目の前で起きた事件に答えを出さぬまま、経済の主張だけを見つめる姿勢。

この在り方では、いつか崩壊するのが目に見えている。

それが10年、100年先の話か分からないが
望まれるシステムは決して、儲かるために作られた関係ではないと思う。
つまり、仕事として発足するはずがない環境である。
そしてそれが今ある社会と並行して育つには
今はネットの環境を生かすしか手段は無くて。

結局は個人の力に頼るしかないのだけれど
他に何かを思い浮かばないうちはそうするしかない。

一番理想的なのは、ただのご近所付合いなんだけれど
あまりにも情報に飽和された世界に住まうばかりに
要らぬ情報からはじいてしまう性質が勝手に働いてしまう。

資本主義が個人の思想に根付いてしまった。
対して共産主義であるネットの環境を育てるにはどうすればいいか。
それはきっと、自然と共存するエコと同じくらい
私たちにとって必要なものだと思う。
事件として新聞に載る前に、仕事としてニュースで流れる前に。

教えを唯一神として崇めにくい日本であるからこそ
できる創造があることに違いないのだ。

演じる事を覚えた私たちの世界では
目に見えないものこそ、守らなくてはならないと感じたのだ。
罵倒でも暴言でもいい。素直になれる空間が必要で。
素直で、会話できる空間が必要で。
だから私は、恋に焦るよりも早く趣味を2つ選んでしまった。

いつまでも、子供ではいれないと。
作る側、発信する側に回らなくてはいけないと。
二兎どころか三兎も追って、一人ではどうしようもなくなって仲間を探して。
ただ一つだけの確信を持って。






私を救ってくれたのは、ここに来るあなたたちだった。










おやすみなさい。そして、おはよう!


芸術は感性で伝える技。
まずは思いの丈を綴らなければ、自分など見えてこない。
それは社会だって同じこと。

この国やこの文化を何年保てればよいと考えますか?
私がそれを「永久に」と語るのは、どうにも無責任すぎる気がしてね。

質量保存の中では消えてしまうエネルギーなどないように
あらゆる事象を感じる心にも絶対量がある気がしてならない。
もう少し詳細な臭う所を言えば、情報量と寿命の関係。

根拠なき事は、ただ信じるのみしか道は無いのだけれど。