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いとまのこさんの公開日記

2009年
02月17日
22:55
見た見た!

以降ネタばれ。
















最初に犯人が分かるシナリオは殺人の動機と方法に
何らかの自信がある場合の手段である。と私は踏んでいるのだが
なんか何がなんの伏線なのか分からない仕草が多すぎてドキドキした。
でも一つだけキュンときたのはストーカー扱いされるときに
コレで連絡は最後ですって泣かずに言えた石神ちゃんは偉いと思う。
そんで石神も元旦那も変わんないよ!って怒る奥さんの演技が
いい感じだったのでおぉ…って。それに怒る子供にも(*´д‘*)ハァハァ
そういえば、ダンナさんを殴ったスノードームは
思い出の品か何かだったのかな?まぁいいや。おいといて。

愛の形は何であれ、ストーカーや恋人、はたまた殺人鬼にさえもある。
その表現がなんであったか。結果だけが見えてくるものではあるが
伝えられる思いは、きっと立場によって異なってくるものだと思う。

誰がどんなことをして、何を言って、何をさせたか。

そう言えば、奇しくも先週のたかじんの委員会は
沖縄の戦争問題の話だった。集団自殺に軍が関与したか、否か。

イデオロギーがどうだとか。イデオロギーなんてカタカナ言葉
意味もよく分からないけれど、事実だけはある。

そこで、多くの人が死んだこと。
そこで、多くの人を守れなかったこと。

戦争の事実なんて、いつもそんなことだと思う。
でも、生活事実もそれと異ならないと思う。

私たちはただ、大きな痛みを少しずつ分けあって
それをお金に変えて生きているだけなのだと思う。

しかし痛みは、成長に必要な感覚である。
理性とは痛みを支配するために使わなければいけない。



話は戻るが。

石神さんと花岡家の関係がただならぬ関係ではなくても
石神さんの感性では十分に満たされていたラストシーンは
ふと、私の現実を掘り起こしてきた。

作中の意図とは別に、私の関心は逸れていった。

福井県に来て一つだけ、最初に凄いと思ったことがある。
信号が縦に三つランプが並んでるのもびっくりしたが…

学校が近くにある場所に住んでいるので、私や親が家に向かう途中
どうしても学生に出会うことが多い。
学生たちの見た目は大して変わらない。横一列に横柄に歩くのもいる。
でも彼らの中の一部。特別な子らなのかもしれないが
彼らはしっかりと挨拶をするのだ。(男からはされたことは無いかも?)

「こんばんわ!」とはっきりと大きな声で。

そんな習慣になれない大阪で育ち尽くしたうちの祖母は
挨拶をされたことに気付かなかった。少し面白かった。

私が一つだけ確信していることは
日常において「挨拶をしっかりとすること」を繰り返すだけで
人間は一定の信頼と、いくつかの自信を持つことが出来ると思う。

それは恐らく、多くの人にとっては少し恥ずかしいことではあるが
見知らぬ人にも挨拶をすること。気を配ること。人を想うこと。
それらはとても大切な、人間を学ぶべき材料だと思う。


誰が一般人であれ

誰が犯罪者であれ

誰が権力者であれ


私たちに言える一瞬は一つしかない。

一生懸命選んだ言葉でも、聞く側でどんな意味を持つかは分からない。
意図的に何かを伝えるには、会話の多くは時間の無駄だ。
しかし、その無駄を話したいがために口を動かす。
だからどうした?って言われるようなこと。

ただ、確かに生きていること。



殺人と言う悲しい事実と

守りたかったという愛の告白

現実と思いのすれ違いはどこで起こり
しかし、何処で叶ったのだろう。

一つだけ確かな事は、男は石神ほど賢くなくても
綺麗な女を落とすために尽くした果てに残そうとするものは
「好きだった」という言葉の代わりになる結果だと思う。


私は、自分の幸せがどれだけの人を不幸にして
自分の働きがどれだけの人を幸福にするか。とか
考えるだけ無駄なことかもしれないが、そういう模索が好きだ。

考えなければ見えないようなことを、感じるのが好きだ。
その答えを、誰かの優しさを、見つけるのが好きだ。





願わくば、悲しい結果になる前に

私も私なりの家を持つ幸せを掴みたいものだ。





おやすみなさい。そして、おはよう!











柴咲さんは髪をおろしてたほうが可愛いよね(*´ω‘*)
何か最近眠いから、今日は早く寝よう…。

うぇーぃ。