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いとまのこさんの公開日記

2009年
05月24日
00:24
長いです(*´ω`*)暇な人だけ読みましょう。


私たちは知りすぎている一方で、感じることが少ない。ついには、
人生の大切な源泉である創造的な感動を感じなくなるのだ。

We know too much and feel too little.
At least, we feel too little of those creative emotions
from which a good life springs.


本日の格言。






ありあまる富(*´ω`*)らぶ



お金ってどうしてほしいかって考えると
それ自体にエネルギーがあるからなんですよね。

約束された、未来の力。とても不思議な力。

定義の上で便利に使える魔法の公式のようで
でもその所為で今ある力が使役され過ぎれば
彼らはまるで細胞のように生活だけを考えるようになる。


それは、果たして、何でしょうか?


一つの大きな動物でしょうか。
森を食べ、人を作り、建物を排泄する。

あるいは、大きな植物でしょうか。
世界を観察し、情報として吸収し、蓄えた知識の実で種を包む。

もしかすると、ウィルスかも。
星が自身を救ってもらうために、生態系を整理したとか。


僕らはこうして働いて、一体何を作り上げるのでしょう。


生活が豊かになることを求めるのが経済だとしても
環境が豊かになることを求めるのが倫理だとしても
はたしてそれは、何を生み出すための犠牲なのでしょうか。


きっと具体的な答えなんていつになっても出てこないでしょう。
それが明白な人はすでに幸せなはずです。

目標に向かってまっすぐ進む。信じるものがある人は、それが富です。
約束されるものが多い状態は、お金がたくさんあるよりも豊かです。

知を手に入れるたび、それは感じることができるはず。
勉強とはつまり、それ自体が幸せを掴む行為なのかもしれません。
できることなら、10年前の自分に教えてあげたいものです。

今はたくさん勉強をするべきだよ、と。



話は戻って…

では、お金が約束した力の使い道は
一体どういったベクトルを持っていくのでしょうか。

そこに正しさがあるのでしょうか。
そこにどれだけの幸福が約束されれば満足でしょうか。

就職活動をしている間、いろんな会社の説明を聞きながら
技術屋として、物を作ることってなんだろうってずっと考えてました。

選べるほどの能力も権利も持っていませんでしたから
そして、意志もあまりないままソレを迎えてしまった故に
どうでもよくなったり、考えたり、空しくなったりもしました。


自分だけが満たされて満足できるなら、今すぐに死んでやってもいい。
痛いのは嫌だから、考えるのもあまり好きじゃないけれど
楽になれるのは確かだろう。

生きていれば期待される。可能性があるうちは叱られる。
能力がなければ愛されもしないし、外見や性格もまた是非を問われる。

私にとって、どうでもいいことばかりが社会にあって
ソレを必要とされているし、ソレをしなくてはいけない。



生きるために?



もっと他に好きなことがあったでしょう。
ソレをするために頑張ればいい。



でも好きなことってどうやって増えたっけ。
できるようになって、褒められること?
いやいや、それより前に興味を持つこと。

イメージでいえば… 分かること。できること。もっともっと。

それはきっと、誰もが理解できる程度に噛み砕かれた情報から
生活の中にどうやって存在しているかが繋がった瞬間に
誰かが喜んでくれたり、ありがとうって言ってくれたり。


でもそれ以上に、それが許された行為であることが重要だったり。


たとえば人が死んだらどうなるかなんて
殺人事件をして実験するなんてこの社会の中では不幸なこと。
自分の意識がなくなっても、まだ尊厳死だって認められない。
あるいは大きな企業では自分たちの研究を多くは語れないような。

そうしていくつかの情報は閉ざされたまま
その楽しみを伝える時間を奪われたまま老いてしまったり。


私が誰かに、自分の好きを伝えられるとしたらそれは何だろう?
漫画かな?漫画が好きだなぁ。漫画で描くとしたら人間模様だなぁ。と
そうして私が人間について知りたいと思ったのでした。

大学の学科選びでも、心理と教育で悩んでみたけれど
どうにも私が本当に知りたいことは心理のような世界ではないし
教育にしても、教えるほどの何かを得てきたわけではないし
どうせだから好きでもない理系を続けてみようと思ったりして。

でも、どうして。これがなかなか人間から離れない世界。
あらゆる設計は人間の都合によって作られていて
それらの多くは自然から学んだ動きを真似ているだけだったり
ものすごく単純な動きでも、機械がすると大袈裟になったりして。

その不器用な振舞いが、とても人間のソレと似ていて。

もしかすると、これはもっと単純な世界なのかもしれない。
人間のポテンシャルは素晴らしい。ちょっと背中を押してやることで
世界は変わるかもしれないと期待してしまったり。



まず最初に検討したのがゲームですね。

今まさにそれが欲しいですが、RPGと資格試験を
混ぜた作品とか欲しいです。DSはまさに好都合なハード(*´ω`*)
でもいざ作ろうとしても、どういうシナリオにすればいいかなんて
あまり思い浮かばないからまだまだ検討中ですが
ぶっちゃけそんなのは後付けでいい気がします。

e-ラーニングの教材がしっかりしている今なら
もう時間の問題だよなーって。あとは売れるか売れないか、ですよね。
でもそこら辺は、国がサポートしてくれれば簡単にできそうだし
何ならフリーソフトでもアマが集えば作れるレベルだと思う。

とにかくあの青春の無駄にやったレベル上げの時間を
勉強に少しでも活かせたらよかったなーって考えたり。




まぁ、そんな無駄企画ばかりをいつも考えてるんですよね。


そういった無駄な企画をどんどんみんなで考えることができて
政治でも研究でも、経済で閉鎖されずにオープンになっていけば
きっと世界中で無駄な作業が消えるでしょう。
資本主義はそれを許さないけれど
制度の問題ならいつかは変えられる。


結局、何がしたい!って目的はもう置いてけぼり
考える行為が楽しかったりして

それが「好き」になった状態。




っていうか、多分、それが私の答えだと思うんです。

あれをすれば、これができる。そしたら、これもできるかもしれない。

そうして考えること自体が、答えだと思います。




私たちが約束された力で、何のために犠牲になれば満足か。





優先されるべくは経済ではなく、教育に基づいた興味の発掘。
そして、そこから与えてやれる未来の選択だった。

生きることが不安な社会なんて、私でも作りたくない。
まぁ、刺激して情報の取得を促したり、消費を促す業界もあるけれど
何でもお金にしようとするからこうなってしまったわけで。





冒頭の格言です。


私たちは知りすぎている一方で、感じることが少ない。ついには、
人生の大切な源泉である創造的な感動を感じなくなるのだ。

We know too much and feel too little.
At least, we feel too little of those creative emotions
from which a good life springs.


私は少し変だと思いました。


私は知らないことが多過ぎる故に、感じることが少ない。
いや、知り過ぎた故に、知らないことが増えてしまったのかもしれない。

でもそこでノスタルジーに囚われては盲目になってしまう。
昔の方が感受性が豊かだったかと言われても
そんなことがどうして比較できようか。

確かなことは、皆が忙しいということだけだ。
借金を背負って働いているというだけだ。

現在の情報が溢れているこの世界で必要なものは
ソレを確かめる知識。あるいはソレに通じた信頼たる知識人。

でもその前に、知識を得ようと考える興味を引き出すこと。
知を求め、愛するという名を持つ哲学が必要なのかもしれない。



Science is what you know; philosophy is what you don't know.



いつか死ぬまでに、一つだけして描写してみたいものがある。



社会の歪みが犯罪を生んで、そこで裁かれる意義とは何か。



裁判員制度は不安定なシステムだけれど、その影響は興味深い。
裁きとは、赦しとは何か。

善と悪とは異なった、明確な答えを持つべきだと思う。

イジメとか、飢えとか、貧しさとか。
助けが足りないことを理由にしない答えが欲しい。





必要だと思ったんだ。

僕が安心して永久に眠れるだけの安らぎを

これまでに愛した人、愛してくれた人

これから愛するであろう人たちにも残したくてね。






おやすみなさい。そして、おはよう!







勉強は若干諦めた!!! 試験 \(^o^)/ オワタ
どうにも一人になると妄想ばかりしてしまってね!!

一人暮らしはダメだと思った。

そんな動機でも、恋がしたいです(゚∀゚)安西先生

あと最近、睡眠4時間半で目覚まし無くても目が開くようになったよ…。