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モンスターAMさんの公開日記

2009年
10月23日
07:53
09年10月22日鑑賞。
09年289本目。

 先週、全日本観戦の際に上映時間を確認し、
メンズデー割引と上映期間(月内)まで
確かめていたのに、いざ行ってみたら、
13時台の上映回が削られていて、
朝夕一階ずつの上映で、しかも明日で
終わるという。
きてよかったー...

 本当は来週見に行くはずだったのだ。

 しかし、16時10分まで3時間もある...
写真を撮ろうにもカメラにカードが入って
いないという失態!
 考えたあげくに整骨院に行くことにした。
ちょうど前日から肩と腰が重くなって、
キーボードも打てないくらいだったので、
予約日より1日早いけど飛び込みで
行ってみたら、予約キャンセルがあって、
うまいぐあいに滑り込めた。
思ったより具合が悪かったみたいで、
結構痛かった。

 治療が終わり、取り急ぎ映画館のある
シーモールへ。
ここに奥田英二が支配人を務める
市内唯一の映画館があるのだ。

 まだ上映時間まで40分ほどあったので、
4Fの本屋に寄ってみたら、一冊だけ
週プロがあった...が、先客が立ち読み中。
ちょっとほかのところをうろうろして
あいた週プロを読んだ。

 先日なくなった剛竜馬さんの追悼記事を
佐藤前編集長が書いていたので、
むさぼるように読んだ。
お嬢さんが妊娠中でおなかの中には
剛さんのお孫さんがいたらしい。
けがによる治療が十分でなく、敗血症に
なっていたという。
切なくなった。
これからみる映画が「レスラー」なのに...

 とりあえず映画館に向かった。
奥田英二の映画館になって初めて入ったが、
内装は綺麗にしていたけど、
イスとかスクリーンとか音響は想像通り
昔のまんまだった。
 まあ、こういう場末感たっぷりの中で
見るにはふさわしい映画かなとも思って、
鑑賞したのだが....

 これは想像以上に「痛い」映画だった。
「イタい」のではない。それを含めた
「激痛」の「痛」なのだ。
この映画をみて「感動した」とか「泣いた」
とかいっている人たちは、まだどこかで
この主人公ランディの事を他人事としか
見ていないと思う。

 本当にいたいと思った人は、それを通り
越して痛みまで感じたはずだ。いや、それ
以上に痛みすら麻痺して、それが現実に
見ているのかそうでないのかわからなく
なってくるのかもしれない。

 何度となく、胃液が逆流しそうになった。
ストレス性胃炎から鬱になった私は、
何かものすごいストレスを感じると
決まってげっぷが連発して出てくる。
それが映画をみている間、何回も起こった。

 決して流血を見たからとか、えぐい
デスマッチを見たからとかそういう
のではない。

 ランディがスーパーのバックルーム
から売り場へ出て行くシーン(ここに
観客の歓声が被さる)、接客をしている
シーン、そこでこみ上げてくるものが
いっぱいあった。

 たまたまこのシーモール内で、同じ
精肉関係のバイトをしていたからか、
あるいは、長年のコンビニ業務の
ストレスを思い出したからなのか、
それはわからない。

 とにかく気分が悪いくらいリアル
なのだ。この映画は...

 スーパースターとして脚光を浴びながら、
晩年寂しく散ったレスラーの例は枚挙に
いとまない。今朝もランディのモデルの
ひとりとされるホーガンが自殺未遂を
はかっていたというニュースを聞いた
ばかりである。
 
 ミッキー.ロークが演じ上げた
ランディというレスラーは、劇中で本当に
リアルな試合をしている。しかも誰のムーブ
でもない、ランディ.オリジナルのムーブ
で試合を作っていたのだ。これは特筆に値する。
監督がとことんリアルにこだわったという
試合シーンは、本物の会場で本物の観客を
動員して、本物のレスラー相手に本当の
試合をしたという点が大きい。

 ホーガンをモデルにしたというのは、
イスラム系キャラのレスラーと対戦したと
いう設定と、気をつけてみていれば
ほんの少しだけわかる、それらしいムーブ
でほんの少しだけわかる程度なのだ。
これは特筆ものである。

 参加したレスラーズが「WWEの80%以上
のレスラーより、ミッキーの方が上だ」と
証言するほどのできばえなのだ。
だから、生観戦している感覚を映画館
で味わえる。これは断言してもいい。

 そしてまた落ちぶれたミッキー.ローク
の人生がそこに重なり合う。
だから気味が悪いくらいリアルなのだ。
この映画は、だから、観客を選ぶし、
多くの観客も選ばないかもしれない。
その証拠として、夏に上映されていた
小倉でもナイトタイム一回きりの
上映だったし、下関でも3週の上映が
2週に縮んでしまい、しかも上映回数も
減っている。

 実際、メンズデーなのに、観客は
私含めて二人だったし。

 終わってみたら、治療したはずの体が
またきしみ始めていた。
イスの座り心地も、見上げるようにしか
見られないスクリーンも、昔ながらの
映画館なので、2時間見るには
かなりしんどい体勢を強いられたのだ。

 だから、この痛みはランディの痛みと
いってもいいかもしれない。
私は決してアマレスや、
アマチュア.プロレスをやったことも
ないし、受け身も高校時代の柔道の
時間で取ったくらいの経験しかない。
だけど、この痛みは満身(心)創痍で、
心臓病手術をした身内(父)をもつ
私にとってはリアルすぎる痛みだった。

 カメラが執拗にランディの背中
ばかりを追っているのだが、それが
何度となく父の背中に見えて
仕方なかった。特に心臓のバイパス
手術の傷跡をぬらさないようにして
シャワーを浴びるシーンなどは、
リアルに体験しているだけに、
本当に気持ち悪くなった。

 余談だが、私の父は戦前生まれながら
175センチの長身なので、父の背中が
小さく感じたという体験は一度もない。
だからかもしれないが、父の今でも
広い背中が、ランディの背中に
被さって見えたのだ。

 そう、台詞以上に何度も映し出される
ランディの背中が、この映画の物言わぬ
テーマなのだと思う。コーナーに控えた
時の選手が、ただぼーっと立っているか
どうかは長年見ていれば背中でわかる。
その背中で語れるようになるまでには
かなりの時間を要するのだが、
それを3ヶ月で醸し出したというのは、
ミッキー.ロークの努力や監督の演出も
さることながら、やはり実際のミッキーの
半生がそれを語らしめたのではないかと思う。

 あの広い背中は、時に孤独で、時に切なく、
時に広大に力強く見える。それはまさに
ミッキー.ロークがプロレスラーと同化
したという何よりの証拠だろう。
あそこにいたのは、間違いなく「猫パンチ」
と揶揄されたミッキー.ロークだけど、
それを通り超してきた漢の背中だった。

 男は黙って背中で語る。
これは本物の漢の映画である!