私の事で悲しんでもらうのは、別れの時だけでいい。だから私は不幸を生々しく語れない。不満などキリが無いのだ。解決を見つけるために列挙するくらいしかしない。
それでもね、世の中の文字媒体の半分以上は何かの不幸を伝えるものだと思う。だから私は一文字でも多く、良かった事とか、幸せだったこととか、温もりを感じる想いを載せようとした。具体的な話で言えば、問題と対峙しても逃避することしかできないことが不幸で、それ以外は幸福なんだと思う。
私は問題に対して私なりの解釈を示す。根拠があろうとなかろうと、想いがあることは確かなのだから。ぶつけてみなければ始まらないの。自分の目に、胸に、身体の外に出して初めて意識出来るもの。いや、もしかするとそうすること自体が私にとって幸福の再現なんじゃないかって感じてる。私が想っていることは嘘じゃない。それが現実と違ったとしても。それが間違った結果を導くとしても。私の存在や、想いは嘘じゃない。
戦わなくてはいけない。分からないことに対して、分かるまで。恋をするのもそう。ただ一生で、一番強く、長く想える人の名を探すだけ。今の社会に足りないのは信じるに値しない実力だ。それは確かだ。でもそれ以前にもう一つ足りない物がある。それはいつも傍にあって、今は知る由もなくて、でも確かに支えてくれているもの。
卑屈になった人間が何かを成せるような気はしなかった。だから隠して隠して隠しまくった。そうして探し当てた場所が創作だったんだと思う。ここには無限に嫌な物が入る。そして、良い物に変えることができる。それが私の創作の始まりだった。
それは坩堝のよう。私の思考を詰め込み、問題を考える時間、掛ける時間によって熱量を帯びる。溶け合った末に出来た物が答えであり、しかしそれが求めた生成物でないときはまたそこに熱を加える。
あぁ、時間だ。
おやすみなさい。そして、おはよう!
お絵描きはやっぱりデザインが大切だよなぁってポーズを考えながら思う。人物デッサンが狂うと「えぇ~」って感じになる。でも難しいな。女の子据わりの絵をマスターしたい。座る絵をマスターしたい。