僕が悔しさを表現したら、きっと簡単に世界は変わると思う。
そしてそれ以上に責任が発生する。僕はソレを拒絶している。
そうすることで回っている世界に住んでいる。甘えている。
戦うことを避けている。何か良い方法は無いかと観察している。
関わらないでいる。でもそれがいつか怠惰になることを知っている。
分かってる。でも勝負しても負けることも分かってる。相手を選び過ぎた。
だからと言って諦めたくない。恋をするなら当たって砕けてもそれでいい。
でも自分の事だけなら納得いくまで考えたい。焦って良いことはない。
そうしているうちに生き遅れている。若さを失っている。
機会も失っている。何もかも失って何が残る。ソレが怖い。
でも怖いからといって甘えっぱなしだと、それはまた
誰かの負担になってしまうことを知っている。
誰かが一つ良いことをすれば、そっちの方向に世界は進む。
誰かが一つ悪いことを止めれば、そっちの方向に世界は進まない。
パズルゲームのようなものなのだ。必要なのは経験と機転とスピード。
何も準備しないで挑んでいたあの頃とは違う物を残さなければ
私は成長できないのだ。成長したいのだ。
今、失うものと求められるものが一致しているのも知っている。
何とかしたいのだけれど、どうにもならないこともあるよと言われそう。
今だからどうにもならないのか。いつかはどうにかなるんじゃないか。
だったら今は私が我慢して、何とかして見せようじゃないか。
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私の愚痴日記は大抵、僕から始まり、私で終わる。
いつもはそこに修正を掛けて掲載したりしてる。
でも今日はそのままのっけてみようと思う。
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いつもそうだ。
僕が怒って、私が我慢する。
成長するのは私。変わらないのは僕。
でも私が誰かに愛されたいのは私の中に居る僕で
僕はただ私の幸福と不幸を並べてみても
引いたり足したり出来ないことに不満を覚えているだけだ。
こんなはずじゃなかったと、四則演算の世界から脱却しようとしてる。
そして反対に0という数字に興味を持ち出した。
世の中にはきっと、いくつものきっかけが用意してあるけれど
そこに用意された式にはどこかに0が用意してあって
今はまだ機能しないようになっている。
でもそれが変数にすることを教えてあげることで
僕も、誰かの世界が変わるんじゃないかなって思ってる。
私はソレを0にすることで諦め、違う道を探して解決する。
0にすることが出来ないときは努力するしかない。
僕と私、二人は相反することでその存在を肯定することが出来る。
それが一人になったときはどちらかが誰かに愛されているときだろう。
あるいは誰かを、とびっきりに愛しているときだろう。
でもきっと、どちらがいなくなってもソレは僕でも私でも無い。
ただ、その時だけは幸福であるという証明でもある。
何も考えなくていい。それが何よりの幸福なのだ。
何かを想うだけでいい。それが何よりの幸福なんだ。
ただそこに成長はない。
常に先を見ることが出来る人間が社会にもっと増えたらいいのになぁ。
生活にゆとりが無いわけではなくて、作ってる本人の意志とは別に
仕事の数だけいろんな物が増えているということ。
さて、とりあえずは私自身、私の中のお話から改革しましょうか。
でもその前に
おやすみなさい。そして、おはよう!
COSを聴くと恋をしたくなるのがね。やっかいだよね。
でも恋の歌は言葉も嘘吐かなくて綺麗だからいいなぁ。
風呂ってきまー。