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モンスターAMさんの公開日記

2010年
03月05日
11:51
第6章 飯田橋「かぶき」

 実を言うとカブキさんが率先して口をきいてくださった
というわけではなく、実は落語家でもある笠原氏の絶妙な
トークに引き出されていろいろお話ししてくださったというのが
本当のところ。しかし、いやな顔一つせず、いろいろなお話を
聞かせていただいた事は本当に感謝したい。

 まずはアメリカでの活躍の話から。
当時のダラスというのは誰でも来たがるドル箱エリアだったらしく、
毎回2万もの観衆をフルハウスで埋めるそれは凄いモノだったらしい。
当時しきっていたのは、ご存知鉄の爪.故.フリッツ.フォン.エリック。
で、実は息子のケビン、デビット、ケリーのレスラーとして
の教育を任されたのがカブキさんだったのだ。息子たちはエリック
の前では直立不動で「イエス.サー」というくらい徹底した
礼儀作法を仕込まれていたそうで、ただ、道場とかで練習している
ヒマがないため、実戦訓練と言うことになったらしい。
で、カブキさんが「アメリカのスタイルで行きますか、日本のスタイル
でいきますか」とフリッツに聞いたところ、かえってきた答えは
「もちろんジャパニーズスタイルだ」ということで、カブキさんと
息子たちの試合が連戦で毎日のように組まれ、その度に息子たちは
カブキさんにぼこぼこにされていたらしい。それを見てフリッツは
にんまりとしていたそうだ...ひょっとしてサディスト?それとも愛の鞭
だったのか...いずれにしても彼らがひとかどのレスラーとして名を
はせたのもカブキさんのおかげだったというわけだ。

 また、故.ハル園田さんがアメリカ遠征時、食えなくてバイト生活
をしていたことがあったそうで、カブキさんが連絡を取ると
実は生活に困窮していると園田さんが明かしたので、じゃあ、
こっち(NWAエリア)にこい、ということになって、そこで
マスクマンとしてやっていくことになった園田選手を
マジック.ドラゴンにしたのがカブキさんだったと。
あのマスクはカブキさんが作ったのだそうだ。すげぇ...

 また新日本から海外遠征に出ていた谷津選手の面倒も見たそうで、
猪木さんから「今度うちの谷津っていう若いやつがいくことになった
から面倒見てやってくれ」と頼まれたそうだ。だがその時カブキさんは
谷津選手がどういう選手か全く知らなかったそうで、とりあえず引き受けて
プロモーターに掛け合ったところ「短期間なら」という条件付きで
谷津選手の身柄があずけられることになり、そこでついたトラ.ヤツという
リングネームもカブキさんが発案したモノだそうだ。

 で、全日本に凱旋と言うことになったとき、別に新日本でも
よかったらしいのだが、馬場さんから電話があって(なんとカブキさんが
馬場さんの物まねを披露!)「そろそろもどっこい」という話になった
らしい。まあ海外で名をはせて稼ぎも鰻登りになっていた
カブキさんが日本に帰るメリットは全くなかったみたいなのだが、
とりあえず帰ってくることになって、でもギャラに関しては結構シビア
だったみたい(なお、Sにしてもそんなに噂されるほど羽振りは良く
なかったそうで、これは意外だった) 。曰く「大熊や小鹿の手前おまえだけを
特別扱いには出来ない」といわれたとかで、派手な凱旋のわりに
結構扱いは良くなかったみたい。
 で、どうもカブキさん、 話の端々で馬場夫人を元子と呼び捨てにしていた。
馬場さんも猪木さんも「さん」付けだっのにこれは笑ってしまった。
ただ、馬場さんの話をおもしろおかしくしていると言うことではなくて
「こうして話をすることが故人の供養になる」という
考えからのようだったので、それを分かった上で聞いていると
おもしろい事この上なかった。

 話はさらに深いところへ。
日本プロレス時代、とはいってもカブキさんの世代は既に
力道山を知らない世代にあたるため、直接のボスは豊登に
なったらしいが、この方、とにかく噂通りばくちが好きで、
どうしようもないという話は聞いていたのだが、意外にも
カブキさんの評は「確かにばくちは好きだったけど、人間的に
どうこういうことはなかった」と言うことだった。

 また、新日本登場時やりにくくなかったですか?
という問いには「いや、先輩なのは猪木さんとか坂口さんくらいで、
後は小鉄っちゃんとか星野さんとかは気心しれているし
藤波選手は以下は後輩だからやりやすかったよ」とこれも意外な
発言。猪木さんに関しても世間で言われているほど悪人ではないとも。

 で、今のレスラー評を聞かせていただくとまず口をついて出たのが
ノアの杉浦の名前だった。そして新日本だと真壁という答え。 
ただ、真壁に関してはギミックで勝負するのではなく、
レスリングで怖がらせるヒールでないといけないというのが
カブキさんの持論だった。

 「今の選手たちは意外性がないよね。小橋と健介のチョップ合戦
なんてお客に読まれているでしょ。お客が想像する一歩先を提供しなきゃ。
コーナー詰められたときに一歩前へ出てアッパーくらわせたり、
そういうことをしてはじめておおってなるんだよ。
今の団体.選手はお客に迎合した試合をやり過ぎ
ている」と辛口評も。

 また、同じ毒霧を吹くTAJIRIにしても「彼はレスリングの
基礎が出来ていない。上っ面だけで毒霧吹いて終わり、あれじゃだめ」
と意外にも激辛評。とにかくカブキというギミックで世に出たカブキさんが
それだけではなめられると踏んで、基礎をおろそかに
しないようにしていたということは言葉の端々から伝わってきた。

 ただ、「強いか弱いかというのはスポーツの選手の世界の基準で
プロではそうじゃない。どれだけお客を入れたか、どれだけお客に満足して
もらえたか、それがプロの世界だ」とも。
その上で一番強いというかうまいのは、やはり、リック.フレアー、
ハーリー.レイスそしてホーガンだったという。
カブキさん曰く「ホーガンがレッスルマニアの3だったかでもらった
ギャラの記録は未だアメリカでも破られていない」ほど高額
だったそうで、何億ドルにもおよぶものだったらしい。
またレイスは確かに強かったらしいと言うのは証言されていたけど
「それよりなによりアンドレが本気出したら誰もかなわなかったよ」 
とやはり、「最強」は人間山脈にとどめを刺す結果になった。

 アンドレはドレッシングルームでもボスであったことは
事実らしい。しかし、そんなにいやなやつでもなかったそうで、
みんなが一目置く存在だったらしい。

 話を聞くのに夢中になっていて写真を撮り忘れたのだが、
実は出されてくる料理はどれもこれも絶品で、うまいモノばかり!!
これは本当に至福の瞬間だった。胃袋は料理で、心はプロレストークで
満たされる。なんて贅沢なひととき!!

 カブキさんの話はまだまだ続く...

8.26のオールスター戦で鶴田.藤波.マスカラスの相手として
選ばれたのは、実を言うと指名だったそうで、あれは別に余ったから
組まされたとかそう言うことではなかったらしい(ちなみにカブキさんの
ほかはマサ.斉藤さんとタイガー戸口さん)。

 そして、全日本末期の話にも。
正直カブキさんやる気がなかったそうで、一時期ペイントせずに試合に出たら
馬場さんから「元に戻してくれ」っていわれたそうだ。
でももうあまりやる気が失せていたので、テキトーでいいやということで
バットマンのペイントしたりしてリングに上がっていたそうだ。
そして鶴田とのタッグでインターのベルト挑戦させるからといわれても
もう気持ちは離れていて、ベルト奪取してから一週間で返上を申し入れたとも。

 ここでカブキさんに件のパンフ(87年11月全日本下関大会)
にサインを入れていただくチャンスが巡ってきた。
さすがにカブキさんも懐かしそうにごらんになられて
いたのだが、「みんな亡くなった選手ばかりだねぇ」とぽつり。
そう実はメインで組んでいたハル.園田選手はこのすぐあと事故死
されているし、この日、栗栖正伸と闘っていたテリー.ゴディも既に
故人。そしてカブキさんがサインを入れてくださった写真の隣には...
二代目タイガーマスク(故.三沢光晴さん)の姿が...
最初カブキさん気がついていなかったみたいで、サインを入れられた後で
「おおっ」といって驚かれていらした。

 そういえばこの日闘っていたロード.ウォーリアーズのホークも
そしてその対戦相手だったテンタも故人... 
それを思うとカブキさんが生きてこうして元気なお姿で働いて
いらっしゃるのを見られただけで本当にうれしくなった。

 そろそろラストオーダーとなってきた。
ここで酔猫さんが私を紹介してくださり、
私が下関から来ているんだと言うこと
を告げてくれるとカブキさんはなんと私の隣に。
これはチャンスとばかりに色紙を手渡すと、
びっくりされたみたいで
「墨のにおいがするねぇ」とうれしそうに
受け取ってくださった。
当然記念撮影もしていただいて、もう本当に忘れられない
一夜になった。
 
 まあ、笠原さんの引き出し方も良かったのだけど、やはりカブキさんが
素人にもわかりやすく、プロレスのなんたるかを包み隠さず
語ってくださったことが一番うれしかった。
アンタッチャブルな話題など実は一つもなかったのだ。
強いて言えばカブキさん風に言うと
「元子」の話題がそうだったかもしれないが^^
とにかくそれが一番うれしかった。

 ちなみにこの日カブキさんと共に店を切り盛りされていたのは
奥さんとお嬢さん。お嬢さんは17歳だそうで、奥さん似の美人。 
姉妹と言われても不思議ではないくらい。カブキさんが大事にして
いらっしゃるのがわかる気がした。

 最後はカブキさんが一人一人に握手
して(しかも両手で)くださり、なんと店の外まで
出てお見送りまでしていただいた。
大変恐縮である。本当に本当にいい方だった。 
また是非伺いたい...そう思わずにはいられなかった。
私はこの日のことを決して忘れることはないだろう。
プロレスファンであり続ける限り、永遠に...
(続く)