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茉莉花さんの公開日記

2010年
10月03日
22:30
深夜0時――――。
公園に一人の男性が訪れた。
残業を終えた企業戦士、田中一郎は一日の勤めを終え、どっかりとベンチに腰を下ろす。
皮の鞄の他にはコンビニの袋を下げていた。
中から取りだしたのは缶ビール。
プルタブを開け、ぐいっと煽ると秋の夜空の風が身にしみたような気がした。
「今日は冷えるなぁ……」
金もない。
女もいない。
家も四畳半のワンルームだ。
テレビを見ながらのビールは侘しさを感じさせる。
田中が小さな溜息をついたその時、
「田中くん?」
よく通ったソプラノの声が聞こえた。
顔を上げると、一人の女性が立っていた。
「お、大澤さん……」
女性の名前は大澤あかね。
田中が務めている企業の受付嬢をしている女性だ。
営業に出ている田中とは顔を受付で合わせる事はあっても、声をかけ合う機会はない。
会社の中で美人と評判のこの女性は、田中にとっては高嶺の花だ。
名前など覚えられていないと思った。
けれどもこうして笑顔で話しかけてくれる。
「どうしてこんなところにいるの?」
「月夜を眺めたくてここに座ってます。大澤さんは?」
すると、大澤はへらっと笑ってコンビニの袋から缶ビールを出していた。
「私も……と言いたいんだけど、隣いいかな?」
「はい」
拒む理由はない。
ましてやそれが美人なら。
田中は少しだけ体をずらすと大澤は隣に座った。
ほのかに香る香水が鼻をかすめる。
身に纏う上品な雰囲気と清純そうな美貌に、胸がドキドキと高鳴る。
身近な女性ならば恋愛感情もわく可能性はあるものの、手に届きそうにない高嶺の花ならば普段は抱かない。
受付ですましている顔しか見ないから、いつもと違う雰囲気に戸惑うだけだ。
座った大澤は缶ビールのプルタブを開けると、男性も顔負けなぐらいの勢いでそれをぐいっとあおった。
「ぷはーっ。新しいメーカーだけどなかなかいけるわね」
「本当ですか。じゃあ俺も買ってみようかな」
「そうね。発売したばかりだから今割引価格で売られてるから飲んでみて」
そう答える大澤の笑顔が陰りを見せていた。
「大澤さん?」
大澤の細い肩が小さく揺れていた。
どことなく様子がおかしい女性の顔を覗き込むと、
「私、さっき振られたばっかなんだぁ」
「え……?」
「振られたというよりは振ったほうかな? 彼氏だった奴に二股かけられてたのよね。他の女と一緒の現場見ちゃって彼を一発殴ってそれで終わり。やけ酒しようと居酒屋行っても女一人は大抵断られるのよね。仕方ないからコンビニ行って家で飲もうと思ったけど、そんなとき田中くんを見つけて今こうして座ってる」
大澤は震えを誤魔化すように再びそれをあおった。
苦しい気持ちを全部流し込むかのように。
「こういう愚痴嫌だった?」
「いえ。全然」
にこにこした笑顔しか見たことのない田中にとってはこうして色々な素顔を見せる大澤をもっと見たいと思ったのだ。
それに、四畳半のアパートに帰ってもやる事はない。
一人でいる時ほどわびしいと思った事はない。
「そう? だったらしばらくお酒の共としてしばらく一緒にいてもらっていいかな」
「俺でよければ。あっ。それより大澤さんどうして俺の名前を……。あまり話することもなかったような」
田中は驚いたように大きく目を見開くと、大澤は次の缶を開けながらにやっと笑った。
「職業だからよ。受付嬢の仕事って、上司のアポをとったり取引先の人の顔を覚えることも大事なんだけど、うちの社員が入ってくるたびに『いらっしゃいませ』なんて言うのもおかしな話じゃない。だから社員の顔も名前も覚えるし、それに田中くんは色々な意味で特徴的だし」
特徴的。
その言葉が田中の胸にちくりと刺さった。
「田中一郎くん。営業一課の社員で成績もまぁまぁ。浮いた噂ひとつ立ったことがないの。浮いた噂が立つのが多い人も目立つんだけど、その逆で噂が立たない人も実は目立ったりするものなのよ。勿論名前もわりとありきたりなんだけどそれが際立っちゃうこともあるのよね」
お酒の力なのかそれを借りて気持ち良く語りだす大澤の澄んだ声に、田中はくすっと笑う。
元々目立たない人間だと自分で思っていたのだ。
だからこそこういう反応はとても新鮮で楽しい。
だったら自分もお酒の力を借りよう、と思った。
「な、何よ」
「いえ。大澤さんが振られる原因がわかりました」
「え……」
「大澤さんが聡明すぎるんですよ。頭のよすぎる女性はかえって敬遠されるんです。男はわりと単純で甘えて貰ったりとかすると結構喜びますから」
そう言うと、大澤は一瞬ぷうっと頬を膨らませるが、すぐに小さな溜息をつく。
「そうかもねー。私甘えるの苦手だし、可愛くない女だったかも」
不機嫌にさせてしまったかと心配になって顔色を覗き込むものの、大澤の横顔はとてもすっきりしたような顔をしていた。
「よし! くよくよするのは私らしくない! 私も帰って早く寝ようっと」
ベンチを立った大澤は振り返った。
「私、これから新しい恋をする! ありがとう」
「元気になってよかったです」
「田中くんってわりと人を元気にさせる天才なのかもねー。いっそカウンセラーの資格でも取ってみたら?」
「一応考えてみます。さて、と。行きますか。近くまで送っていきます」
自分もなんとなくすっきりしていた。
愚痴を聞くだけではなくて、自分の中でも何かが見えてきたような気がしたのだ。
「そうね。だったらそうして貰おうかな」
「はい……」
まだ自分の手元にある封を開けた缶の中身を飲み干し、ゴミ箱へと放り投げた。
それはうまい具合にゴミ箱の中へとおさまるのを確認すると、すぐ近くに立つ女性の隣を歩きだす。
噂の美人の意外な一面を知った事に心地よさを感じる自分がいたのだ。
時間もかなりいい時間を指していて、四畳半に戻っても自分が心地よく眠れるだろう。
そう確信すると、隣の美人に親しみが湧いた。


FIN