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かのんさんの公開日記

2012年
04月03日
17:42
先日、暴風雨の中法事がありまして。

お寺で住職の読経の前に、故人への敬意と参列者に向けての、簡単な法話と言うか、語りがありまして。

「生きているというのは、この世を旅することで、いずれは生まれてくる前の、あの世へと帰っていくもので、その旅が、故人のように長い人もいれば、思いがけず短く終わる事もあり、そのつかの間の旅の道中で、いろいろな人や物事に出合うもので・・・」みたいな話を、とりとめなく取り繕いもなく、率直に言ってあまり上手じゃない話でしたが、いろいろ感じるところがありました。
故人は夫の祖母で、百余歳で去年逝きました。長い旅でした。




「フラジール」ラストで混乱を来した、わたしの拡大解釈について、整理のために書いておきます。
以下、ネタバレを含みます、そしてわたしの解釈です。



「生きてることは意味がない、でもそこそこ楽しい」に繋げられるか、
「生きてることはそこそこ楽しい、でも意味がない」に落着するのか、
という事です。

ゲーム序盤から、語りが過去形で、ゲーム中に時間軸が追いつくかと想像していたんですが、追いつくどころか、最終的に、思っていたよりずっと昔を振り返る、という形だったことを最後に知ります。

ゲームを通して、主人公の「もう一人」を探す旅に同道し、ラストで彼女(レン)に辿り着く、のですが。

その彼女を、語ってる時点で主人公は既に失っている事を、最後の会話の直前に告白する。

手に入れても、失う。

もの凄い、放り投げっぷりで、正直子どもに
「どう言うこと?え?結局死んじゃったって事?意味がないって事?」って聞かれたけど、まあそう言うことだと思うけど、そこまで赤裸々に、無常感バリバリでおわるんかい!マジか!ビックリ!!っていう状態で、
「・・・人間、死ぬときは一人なんだよ」とか、答えになってないことしか言えなかった。

だけど。
「意味がない」で終わって貰っては、親としてまずいんで。
それで制作サイドの真意を求めて、覗いて回ったわけです。

「掛け替えのない者に出合うために生きる、そしてその掛け替えのない者を失ったとき、人は本当にひとりぼっちになる。
その人との時間は束の間で、はかなく壊れやすい(FRAGILE)うたかたの、だけど奇跡の瞬間かもしれない」
という感じに解釈させて貰って、やっと落ち着きを取り戻しました。


先の震災で、「終わり無き日常」が終わってしまった、という共通感覚で、日本中が痛みを感じてる。
でも、
実はこの世の底は元から抜けていて、その穴ボコを見ないで済んでたのは、何気ない日常という霞みを立ち上らせることが出来てた幸せな人たちだったのだろうと思う。
穴ボコに恐怖しておののいて泣いている人は、昔からいた。

誰かが誰かを失って痛む心は、ひとまとめに出来ない、それぞれが掛け替えのない痛みで、でも、それぞれが想像しうる痛みだから、共感するのだろう。

失ったあとも、残念ながら生は続いたりする。

ならば、手に入れることは無意味で、いやむしろ不幸の種なのか。
手に入れなければ失わずに済む。

それでも、求めるのだろう、何かを。善いものを、光を。
失ったあとも、鮮やかに甦らせる事が出来る奇跡の瞬間を、拾い集めて今を生きる。

そういう旅なんだろう、とか思いました。