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漫画トーンジェネレーター
架空のクラシックカー マイバッ
作品情報
ちぃネーム

kinshisho

タイトル 架空のクラシックカー マイバッハDS16Kツェッペリン プルマンリムジン 流線型仕様
説明文  格式ではメルセデスベンツをも凌ぐドイツ最高峰の超高級車メーカー、マイバッハが放った渾身の作である。
 別名ツェッペリンシリーズと呼ばれており、ツェッペリンとはマイバッハのフラッグシップモデルであることを意味する。
 ツェッペリンの由来はかつてマイバッハは自動車に進出する以前は飛行船用のエンジンを作っており、その飛行船とはかのツェッペリン飛行船であった。その優美さにあやかりフラッグシップモデルにツェッペリンと命名したのである。
 ツェッペリンシリーズは1929年のDS8、1935年のDS12、そして1939年のDS16があり、DS16ではオールアルミブロックV型16気筒直噴DOHCツインスパークエンジンが搭載され、排気量は8200ccに上る。ピストンは鍛造アルミ製で圧縮比は10.0:1とされたが、これは直噴だからこそ可能な数値である。出力はインタークーラー付遠心式スーパーチャージャーが作動すると525ps、通常でも415psをマークする怪物であり、最も重いプルマンリムジンでも0→100km/hの加速は僅か10秒、流線型仕様で7秒と性能は当時の水準を考えると非常に優秀であった。当時は同クラスの高級車で19秒前後なら高性能とされていた時代であり、大衆車だと100km/hに届かないモデルがザラだった時代のことである。
 シリンダー形式は当時ロングストロークが主流の中、ショートストロークを採用していた。潤滑にはドライサンプを採用しているが、これはオイル性能維持と重心を低く抑える狙いもあった。
 また、可変気筒システムの採用により巡航時は16気筒から8気筒、そして6気筒分しか作動しなくなるようになっており、これで燃費を稼いでいてリッター当たり5.1kmに抑えていた。
 スーパーチャージャーは当時のドイツ車の流儀に倣いアクセルを床一杯踏み込んだときだけ作動する。スーパーチャージャー付は末尾にKが付くが、これはドイツ語で過給機を意味するコンプレッソルのKの頭文字である。
 最高速度は通常のリムジンで200km/hに達し、流線型仕様だと255km/hに達する。
 点火系統はバッテリー・イグニッションをメインとし、予備に高圧マグネトー・イグニッションを備えており、少なくとも点火系のトラブルで走行不能となることはなかった。点火プラグには非常に高価だが高性能なイリジウム合金プラグが使われている。1気等辺り2本X16気筒なので合計で32本になる。
 ツインスパークとすることでより強力な火花を飛ばせるため出力向上、燃費向上への貢献度は大きかった。電装系への負担が大きくなるため、ディストリビューターを2基にしているほかバッテリーも12Vを並列に接続して容量をアップしている。
 このマイバッハの高性能を支えていたのがドイツの電装メーカーであるボッシュ社であり、ボッシュ社の協力なくしてドイツ車の栄光はありえなかったろう。
 本来乗用車の過給機は当時構造が単純でコンパクトなルーツ式スーパーチャージャーが主流であり、高性能だが複雑精緻な遠心式スーパーチャージャーは航空機に搭載されていた。敢えて遠心式を採用しているところにマイバッハの技術的な拘りが窺える。因みに乗用車で遠心式を採用している例は数えるほどしかない。
 ホイールベースは各種用意されていたもののDS12までは2ドアクーペもあったが、DS16はほぼフォーマルのみであり、4ドア5シーターのカブリオレセダンから最上級には7/9シーターのプルマンリムジンがラインアップされた。
 サスペンションはDS12と同じだが、改良が加えられ前輪が新開発の不等長ダブルウィッシュボーン/コイル/スタビライザー、後輪が新開発のダブルオフセット等速ジョイントを用いた改良スイングアクスル/コイル/スタビライザーの四輪独立懸架であり、しかも鍛造アルミを用いて積極的に軽量化を図りバネ下重量を軽減、ハンドリングと乗り心地を向上させていた。デフ側に設けられたダブルオフセット等速ジョイントは左右方向(厳密には左右伸縮側)にも動くようになっており、これによってサスペンションが上下動する際に生じるドライブシャフトの有効長の変化による振動の発生を完全に抑えることに成功した。
 加えてスイングアクスル特有の悪癖を解消していることにより安定した連続高速走行が可能で、アウトバーンを160km/hオーバーで疾走するに相応しいモデルとなった。
 スイングアクスルは従来の固定車軸と比べハンドリングや乗り心地は向上するが、高速走行時の不安定さや急ハンドルを切ったときにスピンしたり横転するという問題があった。それでもフロントエンジン車の場合は後輪にかかる負担が比較的小さいためまだ問題は少ないほうだった。後のVWビートルを始めリアエンジン車のように後輪にかかる負担が大きな車で問題が顕在化することになる。ツェッペリンシリーズでもDS8は当時としては最先端を行く四輪独立懸架だったが後輪はスイングアクスルを採用していた。
 ダンパーは当時最新の油圧テレスコピック式でコイルスプリングと一体化したもの。現代でも使われている構造を早くも実現していた。コイルスプリングと一体化したダンパーは4tにも上る車重に対応するため1輪あたり2本としている。
 前輪は不等長とすることで旋回時の車体の傾きを抑制することに成功し、またハンドリングも前のDS12と比べ向上している。ただ、等長、不等長ともにメリット、デメリットがあり、この辺は技術者の解釈や設計方針の違いの差でもあるので一概には言えない。マイバッハは軽快かつシャープなハンドリング、メルセデスベンツは重厚かつ穏やかなハンドリングを追及した結果の差異でもある。
 因みに当時は後輪はドライブシャフトが通っている関係上独立懸架とするのは技術的にも難しく、このため高級車はおろかスポーツカーでも板バネで支える固定車軸方式が主流で、独立懸架は非常jに高価なこともあって採用例は少なかった。加えてその独立懸架もスイングアクスルが主流であり、ユニバーサルジョイントさえ採用例の殆どなかった当時にあって等速ジョイントでも更に一歩進んだダブルオフセット等速ジョイントを採用していたマイバッハの先進性が窺える。
 プロペラシャフトは取付け角度を完全に0度にすることで、エンジンからトランスアクスルまで駆動伝達系が一直線となり、このため取付け角度の変化に由来する振動を最小限に抑えている。プロペラシャフトは別に上下動しないのと、エンジンからの振動を吸収してスムーズに駆動力を伝達するのが役目なので等速ジョイントではなくカルダンジョイントを使用していた。
 これがマイバッハの安定した高速走行と素晴らしい乗り心地を両立していた秘密でもあった。
 余談ながら当時マイバッハと並んで先進的とされていた、マイバッハDS16に対抗する目的で作られたメルセデスベンツのフラッグシップであるカイザーメルセデス880Kでさえサスペンションは前輪が等長ダブルウィッシュボーン/コイル、後輪がスイングアクスル/横置リーフの組み合わせだった。
 当時は高級車でさえこうなので、大衆車に至ってはサスペンションは軒並前後とも構造が単純で安価な板バネ支持による固定車軸が普通で、このため舗装路はまだいいのだが、路面状態の悪い場所ではガタゴトという振動や車体の揺れに晒されるのは我慢するほかなかった。大衆車に四輪独立懸架が普及するのは戦後まで待たねばならない。
 ドイツ車全体に言えることだが、アウトバーンを連続高速走行することが前提のため乗り心地はやや硬めで低速域では若干のゴツゴツ感がある。それでも乗り心地は当時の乗用車としては素晴らしいものがあり、またダンピングレートコントロールを搭載し、車速に応じてダンパーの硬さが変化するようになっており、運転席から手動操作も自動で操作することもできた。
 ステアリングは当時高級車の定石だったボール&ナットではなく主にレーシングカーで採用されていたラック&ピニオンだった。ラック&ピニオンは構造が単純かつハンドリングが鋭敏というメリットの反面、やや重くまた路面からの振動が伝わりやすいという欠点があり、高級車での採用例は当時殆どなかった。しかし、マイバッハはステアリングダンパーやパワーアシストの採用でこの問題を解決した。これがマイバッハが巨大な割に動きが敏捷なもう一つの秘密であった。
 後輪には電動式四輪操舵システムがオプション設定され、スイッチ一つで運転席からの断続も可能。
 フレームも鍛造アルミフレームであり、また230ℓ入る燃料タンクはホイールベース内に設けてあった。これにより重量変化によるハンドリングへの影響を最小限に抑え、尚且つ追突による炎上の危険を大幅に減らした。
 トランスミッションはDS12から引き続き精緻な7速セミオートマティックを採用、リアデフと直結にするトランスアクスルも継承している。フルポルシェシンクロの採用により素早くかつ滑らかな変速が可能で乗り心地向上にも貢献していた。クラッチペダルは発進や後退のときだけ必要で、あとはステアリング裏のセレクターレバーのみで変速できる。因みに400psを超える出力に対処するため強化スプリングを組み込み、クラッチも二枚重ねとしていた。
 ミッションに直結され一体化しているリアデフはリミテッドスリップデフで、機械式を採用している。デフロック機構も装備しており、万が一後輪が空転する事態でもこれで脱出することができた。
 DS16では各オイルへの負担が大きいためエンジンオイルクーラーをツインで搭載し、更にステアリング、ミッション、デフ、サブエンジン用のオイルクーラーまで装備している。なので少なくとも冷却系のトラブルで走行不能となることはまずなかった。
 ラジエターも大型化し、通過して熱せられた空気はダクトを通ってサイドに設けられた排気口から排出される拘り様。排気口は運転席から開閉できる。
 ステアリングからブレーキ、クラッチペダル、セレクターレバー、パーキングブレーキレバー、デフロックレバーまで全てパワーアシストされており、このためこれほど巨大な車体にも関わらず力はいらない。なので車体感覚に慣れれば女性でも運転は容易だったという。当時としては破格の扱いやすさだったと多くの運転手が証言している。
 ブレーキは四輪ドリルドベンチレーティッドディスクでローターは鍛造アルミ製。キャリパーは4トン近い車輌を確実に停車させるためツインキャリパーとされ、前輪が6ポッド、後輪が2ポッドである。このため100kmから停車まで70mしか必要とせず、これは重量級のリムジンであることを考えると非常に優秀だ。
 初歩的ながらも四輪ABSを装備し、ホイールは鍛造アルミ製でタイヤはメッツラー社による当時世界初のスチールベルトチューブレスラジアルを採用、いずれも200km/h超の高速走行に対応するためである。タイヤには安全のため高圧窒素が封入されている。
 エンジンの始動方法がやや特殊で、キースイッチをONにしてまず盗難防止装置を解除、次いでマスターキーをONにした上でアクセルペダルとクラッチペダルを同時に踏み込む。こうしないとセルスターターを始動させるための電気回路が接続されない。そしてスタータースイッチをONにするとエンジンはスムーズに始動する。
更にDS16では対向車の光を感じたときライトを自動的に下向きにするオートロニクアイを搭載。
 ハイテクへの拘りと作りこみへの抜かりのなさはマイバッハの伝統でもあった。
 このDS16からはエアコンがオプション設定となり、サブエンジン式(水冷オールアルミブロック並列2気筒でSOHC直噴220cc、出力は17ps)か直結式かを選択できた。サブエンジン式の場合エアコンの性能は強化されるが、25リットル入る専用の燃料タンクなどのためトランクスペースがやや狭くなる。
 ハイテク面だけでなく快適性でも当時の水準をはるかに上回る超高級車であった。
 これほどまでに複雑精緻にも関わらず、メカニズムの作動は意外なほど確実かつスムーズだった。まさに走る精密機械と言えよう。
 このDS16には世界中の自動車メーカーが度肝を抜かれたことだろう。
 それだけに価格はとんでもなく高価であり、最も安価なスーパーチャージャーなし4ドア4シーターカブリオレでもメルセデスベンツのフラッグシップであったグローサーメルセデス770Kの約3倍の120000RM(ライヒスマルク)というプライスタグが付けられていた。現在の日本円に換算すると1億円を軽く超える額である。
 当時間違いなく世界の頂点に位置していたこの超高級車はあまりにも高価だったことに加え、発表されたのが1939年という第二次世界大戦が始まった年であるのも災いして生産数は非常に少なく僅か155台が生産されたに過ぎない。その生産は1942年頃まで細々と続けられたという。その意味では戦争に翻弄された悲劇の名車と言えよう。
 155台のうちスーパーチャージャー付は65台と少なかった。
 実は戦後の1952年に生産を再開したのだが、その生産台数は僅か18台であり、いずれも近代的な車体を架装しているのが特徴である。戦後の生産は1954年頃まで続けられた。スーパーチャージャー付は僅か3台であったという。
 その後マイバッハは社長であるカール・マイバッハの引退もありメルセデスベンツと合併、1954年を最後に乗用車の生産を終了し、その後は各種ディーゼルエンジンの開発生産に専念。マイバッハの名が復活するのはそれから半世紀後のことであるが、あくまでメルセデスベンツの上位ブランドという位置づけでしかなくかつてのマイバッハとは縁遠い存在であることは論を待たない。
 あくまで独立ブランドとして生産されたマイバッハ車の総生産台数は3000台を少々上回る程度でしかなく、如何に貴重な存在であったかがわかるだろう。何しろメルセデスベンツでさえ戦前の段階で高級車に限っても1万台を超える数が生産されていたのだから。
 まさに時代の徒花のような存在のDS16であるが、それだけにカーマニアの間での人気は高い。
 イラストは155台のうちの1台で、35台が生産された最上級グレード、プルマンリムジンのうち僅か7台が生産されたスーパーチャージャー付流線型仕様である。
 車体を架装したのはマイバッハと馴染みの深いスポーン社で、ジュラルミンで作られ、チタニウムビスを始め軽金属を積極的に採用。車体下はジュラルミンのアンダーカバーで被われCd値は0.28をマークしている。
 純金を溶かし込んだ紫外線カット機能を持つ減光ガラス、ドライバーへの光の反射を防ぐため裏半分を艶消し黒で塗装したフェンダーミラーが装備されている。
 サブエンジン式エアコンを搭載。内装も贅を凝らしており、床は厚手のアクスミンスターカーペット、シートやダッシュボード、トリムなどには水牛革、高級木材で知られるチーク材の化粧羽目板と家具、天井にはシルクキルト、螺鈿細工にトゥールビヨンを組み込んだ機械式時計、ミニバー、化粧台、ティファニー調ランプシェード、シャンデリア調の照明、読書灯、冷温蔵庫などを装備し、またステアリングからミラー、シート、各種装備は殆どがスイッチ一つで動作し、トランクに搭載された工具やスペアタイヤなどもスイッチ一つで自動で迫り出すのだから、当時考えられる限りの贅を組み込んだDS16の最高峰と言ってもいいだろう。油圧ジャッキも自動式で、スイッチ一つで車体を持ち上げることができ、このためタイヤ交換やチェーン装着も楽だったという。
 工具のフルセットも最高級品で、これだけで数十万円という。
 内部は通常7人乗りだが、運転席との仕切りを兼ねたチーク材のキャビネットに収納されている補助席を引き出せば9人乗ることができる。
 運転席とは各席に設けられたインターコムで意思疎通が可能。
 軽合金を積極的に使用しているお陰で本来なら4tに達するところを3.4tに抑えている。それでも当時としては重量級の車輌ではあったが。
 寸法は8170X2450X1720であり、ホイールベースも6020mmに達し、その間に並の高級車がスッポリ収まってしまうことからもその巨大さが窺える。殆ど乗用車というより中型バス並の大きさであった。それ故9人乗っても内部は広い。
 この巨体のため目撃者からはまるで小山が走っているようだと評された。特に当時の大衆車と比べるとその差は歴然であった。
 そして、現代の水準で見ても優秀な空力とも相まって、この見かけにも関わらず最高速度は255km/h以上に到達する。
 価格は316000RM(ライヒスマルク)で、何処かの魔境の世界の令嬢が購入したらしい(笑)。
 ライヒスマルクとは戦前のドイツで流通していた通貨であり、国民車として計画されていたKdfタイプ1(後のフォルクスワーゲンビートル)が1000RMだったことを考えると目玉が飛び出るような価格である。
 マイバッハではツェッペリンシリーズには独自のサービスを提供しており、6ヶ月、12ヶ月の定期メンテナンス、機械トラブルが原因の修理、冷却水やオイル交換は無償で行われる。
 他には当時の高級車の定番で、余った革やシルクキルト、アルミなどを用いてトランクにぴったり収まる旅行用カバンとケース入りマップが標準で付いていた。
 更に、運転手養成のための教習施設も設けツェッペリンオーナーの運転手はここで4週間に渡り構造からメンテナンス方法、救急措置などの医学的知識、運転技術を徹底して教え込まれる。走る精密機械と賞されるマイバッハだが、その中でも更に複雑精緻な構造を持つツェッペリンシリーズは特殊なメンテナンスを要求される部分も少なくないためだ。
 教習課程を修了すると、その証としてマイバッハのエンブレムを刻んだ懐中時計が運転手に贈られる。懐中時計にはトゥールビヨンが組み込まれている。
 
 一方で流線型は当時としては奇抜すぎたのか、世間では受け入れられず際物扱い。このため美しいティアドロップスタイルのリムジンは今では反って貴重な存在でもある。人間って、案外保守的な生き物なのだ。
 マイバッハは派手で且つ華美な外見からか、またハイテクへの飽くなき拘りもあって王族や大貴族といった伝統的な保守層よりも、新し物好きで、通常の高級車では満足できない一部の貴族や成功して財を成して新しく上流階層の仲間入りをしたニューリッチ層から支持を受けた。また、王族でも国王よりは王子や王女といった若い層がマイバッハの顧客には多かった。
 マイバッハDS16は当時の自動車の一つの到達点であり、歳月を重ねるほどに威厳と貫禄と輝きを増していくタイプのこのクルマには、現代のどんな超高級車も足元にも及ばない。何しろ今の高級車は作られた新車の時点が最も輝けるときであり、歳月を重ねるに従って輝きを失う消耗品なのである。
 このような採算を度外視して潔く持てる最先端技術を注ぎ込んで作られた、純粋な意味での技術的工芸品が世に現れることはもう二度とないだろう。
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投稿日 2011年12月30日
22:11:46

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